
1990年代を代表する万能エンターテイナー、キム・ミンジョン。
彼は俳優としても歌手としてもトップに立った人物である。ドラマ『フィーリング』『ミスターQ』『守護天使』など、出演作ごとにヒットを記録し、「お茶の間の保証小切手」と呼ばれた。
さらにユニット「THE BLUE」での活動やOSTのヒット曲も加わり、90年代青春スターのアイコンとなった。

しかし時が流れ、キム・ミンジョンの近況が再び注目を集めたのは意外なニュースによるものだった。
それは、京畿道(キョンギド)・楊平(ヤンピョン)の山中にあるコンテナハウスで生活しているという事実が知られたからだ。時代を代表したトップスターがコンテナハウスに住んでいるという知らせに、大衆は大きな衝撃を受けた。

しかしこの場所は彼のセカンドハウスであることが明らかになった。約4,100万ウォン(約436万円)を投じて用意したこの家は、単なる住まいではなく、母のための特別な空間だった。2020年、突然この世を去った母を偲ぶために選んだ場所だったのである。

キム・ミンジョンは生前、表現が不器用で母に「愛している」という言葉をほとんど伝えられなかったと告白した。
しかし元気だった母の突然の訃報を聞き、結局は臨終の5分前になって初めてその言葉を伝えることができたというエピソードは、多くの人々の心を打った。

彼は「愛している」という言葉をあまりにも遅く伝えたことを後悔し続けてきた。
そうして母と共に過ごした時間を思い起こせる場所を探し、コンテナハウスを選んだのだ。母が眠る場所に近い楊平(ヤンピョン)の空き地であったことも理由だった。

家は質素ではあったが、キム・ミンジョンにとっては最も大きな慰めの空間となった。
4,100万ウォン(約436万円)という比較的少ない費用で建てられた家だったが、

彼はその場所で母を偲び、一人静かに時間を過ごしながら心を癒やしていた。
当初は大衆に衝撃として伝わったが、実際には母への後悔と深い思慕が込められた選択であったことがわかった。

かつてブラウン管を席巻したトップスター、キム・ミンジョン。
彼の楊平(ヤンピョン)コンテナハウスの物語は、単なる「トップスターの寂しい現在」ではなく、愛する人への遅れた告白と深い思慕の記録である。
華やかだった90年代の青春スターは、今は静かな山中で一人の息子として愛を守り続けている。
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