「ニタゼン」、微量でも意識低下を引き起こす
容易に合成可能で急速に拡散
英国では1年半で400人が死亡
欧州の税関・警察、「中国供給」を把握
「完全に遮断されなければ制御困難」

19世紀、2度のアヘン戦争で薬物の惨禍に苦しんだ中国が、21世紀に入った現在、逆に世界の「合成薬物供給源」として国際的な疑惑の矢面に立っている。フェンタニル(fentanyl)の供給源とされ、米国から関税圧力を受けてきた中国が、今度は欧州にオピオイド系合成鎮痛薬「ニタゼン」(nitazenes)を広めているのだ。欧州では過剰摂取による死者が急増し、「21世紀型アヘン戦争」の影が忍び寄っているとの声が強まっている。
フェンタニルに代わる新たな脅威「ニタゼン」
ニタゼンは1950年代、スイスの製薬会社シバ(Ciba)が合成した鎮痛薬である。強力な鎮痛効果を持つ一方、極めて高い依存性と致死率のため、医療現場での使用は禁止され、長らく学術資料にとどまっていた。しかし近年、違法市場で再び流通し始め、フェンタニルの取り締まり強化によって犯罪組織が未規制の代替物質に目を向ける中、その空白を埋める存在となった。
薬理学的にニタゼンはオピオイド受容体(μ-opioid receptor)に強力に結合し、モルヒネやフェンタニルよりはるかに低用量で呼吸抑制や意識障害を引き起こす。発現も迅速で、血中濃度の変化が急激なため「使用者が意図せず短時間で過剰摂取に至る危険性が極めて高い」と専門家は指摘する。
欧州薬物・薬物依存監視センター(EMCDDA)は、ニタゼンがフェンタニルの最大40倍、モルヒネの最大1,000倍の効力を持つ可能性を警告した。さらに通常の薬物検査では検出が困難で、使用者自身が摂取を自覚しないまま致死リスクにさらされる例も多い。
欧州全土に急拡散するニタゼン
ニタゼンの最も大きな問題は、その拡散スピードの速さだ。EMCDDAの統計によれば、2023年の欧州域内の薬物関連死は7,500件を超え、トルコやノルウェーを含めれば8,000件以上に達した。英国、アイルランド、ベルギー、ドイツなど各地で検出例や過剰摂取死が相次ぎ、エストニアでは2022年の薬物死82件が翌23年には119件に増加、半数以上がニタゼン関連だった。
英国当局によると、直近18カ月間で少なくとも400人がニタゼンの過剰摂取で死亡したという。薬物・アルコール依存治療機関「チェンジ・グロウ・ライブ(Change Grow Live)」は「1980年代のエイズ危機以来、最大の公衆衛生上の脅威」と警鐘を鳴らす。
背景には化学構造の容易な改変による「変種」の登場がある。製造者は取り締まりを逃れるため分子構造をわずかに変え、新たなニタゼンを次々と市場に投入している。EMCDDAによると、2024年だけでイソニタゼン、プロニタゼン、エトニタゼンなど7種の新規物質が確認され、規制リストに載る前に闇市場に流通しているという。
製造・流通のハードルが低いことも拡散を助長している。小規模な実験室でも合成可能で、研究用試薬と偽って合法的に輸出される例も多い。専門家は「フェンタニル危機で示された『合成薬物の民主化』が、ニタゼンにも波及している」と指摘する。安価で運搬しやすいため、ダークウェブでの注文、国際郵便、偽装輸入が組み合わさり、取り締まりを困難にしている。
アヘン戦争の被害国、中国が合成薬物供給国に
ニタゼンのグローバル供給網を追跡した複数の国際報告書や摘発事例は、いずれも共通して中国を供給源に挙げている。米国はすでにフェンタニル危機の背景に中国国内での前駆体化学物質の生産があるとして北京に圧力をかけてきた。中国産化学物質がメキシコの薬物カルテルに流れ込み、米国内で大量中毒を引き起こしたという論理だ。欧州でも同様のパターンが浮かび上がり、国際社会ではこうした合成薬物を「中国発ヘロイン(Chinese heroin)」と呼ばれるようになっている。
欧州の税関や警察の摘発記録によれば、ニタゼン合成に使用される前駆体化学物質の多くが中国から出発し、欧州へ運ばれている痕跡が確認されている。一部の企業は「合法的な研究用試薬」や「医薬品原料」と書類を偽装して輸出し、欧州域内の小規模実験室や犯罪組織がこれを加工・再販しているのだ。
これに対し中国政府は「合成薬物の取り締まりを強化し、違法化学工場を厳罰に処している」と主張している。しかし国際社会はその実効性と管理体制の甘さを指摘し、中国が依然として合成薬物原料輸出のハブであるとの疑念を拭っていない。欧州薬物監視当局の関係者は「中国発の供給を断たない限り、欧州の合成オピオイド危機を制御することは難しい」と語っている。
一部の欧州メディアは、これを「21世紀型アヘン戦争」と呼び、国際政治的な意味合いを強調している。19世紀、西洋列強が中国を打ち砕いた手段がアヘンだったとすれば、21世紀には中国が合成薬物原料の供給源として西欧社会を脅かしているという逆説的な構図が浮かび上がっている。
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