
1960年代のヨーロッパ、特にイタリアで人気を博したドイツのポップデュオ、アリスとエレンのケスラー姉妹が89歳の生涯を自ら終えた。
18日(現地時間)、ターゲスシャウ、ターゲスシュピーゲルなど現地メディアの報道によると、ドイツ・ベルリンにある「ドイツ尊厳死協会」(DGHS)は、この一卵性双生児姉妹が前日、ドイツ南部ミュンヘン南のグリュンバルトの自宅で共に自死を選択したと発表したと伝えた。
ドイツでは積極的安楽死は違法であるが、憲法によりすべての人に自己決定に基づいて死を迎える権利が保障されている。すなわち、医師が直接死に至らしめることは禁止されているものの、自殺を決意した患者に必要な薬物などを提供することは合法であり、この場合、自殺行為は患者自身が行わなければならない。
ドイツ連邦憲法裁判所が2020年2月に「死に対する自己決定権」を憲法上の基本権として認めたことで、こうした道が開かれた。
ケスラー姉妹は医師と弁護士が立ち会う中、人生を終える薬が与えられ、その後弁護士が警察に彼女たちの死を報告したと伝えられている。
姉妹は長年にわたり、自殺幇助について慎重に考えてきたとされる。彼女たちは昨年、イタリア紙「コリエーレ・デラ・セーラ」とのインタビューで「私たちのうちの一人が先に死ぬと考えると辛い」とし、「同じ日に共に死ぬことを望んでいる」と語っていた。
また、二人はドイツ紙「ビルト」に対し、自分たちの遺灰をいつか同じ壺に入れて母親と愛犬のそばに埋めてほしいとも語っていた。
1936年、当時東ドイツだったドイツ東部ザクセン州の小さな村ネルハウで生まれた姉妹は、ライプツィヒ歌劇場の子供バレエダンサーとして踊りを学び、その後家族と共に西ドイツのデュッセルドルフに移住し、16歳から歌を始めた。これはベルリンの壁が築かれる前のことであった。
ケスラー姉妹はヨーロッパ最高の歌謡祭とされる「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」に1959年、西ドイツ代表として出場し、8位に入賞してその名を轟かせた。1961年、振付師ドン・ルリオ氏との出会いをきっかけにイタリアへ進出し、目覚ましい成功を収めた。その人気には、当時の男性中心のメディア環境でいわゆる「国民の脚」と称された彼女たちの美脚も一役買っていた。
姉妹は主にイタリアを拠点に置きつつ、ドイツを行き来しながら活動した。映画や演劇にも出演し、またアメリカにも進出して成功を収め、フランク・シナトラ氏など多くのアーティストと共演した。
1986年にドイツに戻った姉妹はグリュンバルトに定住した。その後も舞台での情熱の炎が消えることはなく、姉妹は80代でもなおウド・ユルゲンス氏のミュージカル「ニューヨークに行きたい!!」に出演して歌声を披露した。
二人ともメディアの恋愛で注目を集めたことがある。エレン氏はイタリアの俳優ウンベルト・オルシーニ氏と20年間交際し、アリス氏はフランスの俳優マルセル・アモン氏、イタリアの俳優エンリコ・マリア・サレルノ氏と交際した。しかし二人とも結婚することはなかった。
彼女たちは過去のインタビューで、幼少期に母親が父親から家庭内暴力を受けていた記憶がこの決断に影響を与えたと明かした。姉妹の幼少期に父親はアルコール依存症で、愛人がおり、妻や子供たちを殴ることもあった。
姉妹は数年前、ドイツの週刊誌「ディー・ツァイト」に「父の理不尽な怒りに対する恐怖のために他の誰にも依存できないという感情が私たちを永遠に一つに結びつけた」とし、「私たちは普通の双子よりも強い絆を感じている。私たちにとってはそれが生存本能であった」と語っていた。













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