
今年のノーベル平和賞受賞者であるマリア・コリナ・マチャド氏を、ベネズエラから脱出させノルウェー・オスロへ移送した救出作戦に参加した元特殊部隊員が、同氏に対し「決してベネズエラへ戻らないように」と強く進言した。
米「CNN」によると、今回の作戦に関与した「グレイ・ブル・レスキュー財団」の創設者ブライアン・スターン氏は12日のインタビューで、「これまで遂行してきた中で最も困難で、注目度が高く、かつ極めて繊細な作戦だった」と述べた。
脱出作戦は約16時間に及び、その大半は深夜、荒れた海を進む危険な航行だったとされる。 スターン氏はオンライン取材で、マチャド氏がベネズエラ沿岸から出港した船に乗り、事前に定められた洋上の合流地点で自身と合流したと説明した。マチャド氏は9日夜、別の船に乗り換えて移動した。長く寒く、緊張感に満ちた夜間航行であり、その高い知名度が作戦をさらに困難にしたとされる。
スターン氏は「彼女は数カ月にわたり、ベネズエラやキューバ、さらにはロシアの情報機関からも追跡されていた。ノーベル賞授賞式に出席するための脱出は、これまで以上に危険だった」と明かしている。
同氏のチームはこれまで約800件の作戦で8,000人以上を救出してきたが、「今回ほど公に知られ、ウィキペディアに掲載されることになった人物は初めてだ」とも述べている。 スターン氏によれば、船は10日未明に米国沿岸へ到着し、その後ノルウェー行きの航空機に搭乗したという。「CNN」が確認した航空機追跡データでは、マチャド氏が搭乗した機体は10日午前、ベネズエラ近海の島キュラソーを出発し、米メイン州バンゴーを経由してオスロへ向かったことが確認できる。
一方、アルバ、ボネール、キュラソーの利益を代表するカラカス駐在のオランダ大使館は、マチャド氏の脱出に関与したとの報道を否定している。
マチャド氏はノーベル平和賞授賞式から数時間後にオスロへ到着し、式典では娘が代理で賞を受け取った。その後、オスロ・グランド・ホテルのバルコニーに姿を現し、熱狂的な支持者の歓迎に応えて手を振った。公の場に姿を見せたのは約11カ月ぶりだった。 マチャド氏は昨年の物議を醸した大統領選挙後、政府による反体制派弾圧が強まる中で潜伏生活に入り、今年1月に行われたニコラス・マドゥロ大統領就任に抗議するデモで一時姿を見せたのみだった。
米国政府の支援があったことは認めたものの、「関係者を危険にさらしたくない」として詳細は明らかにしなかった。
スターン氏は、作戦資金は匿名の寄付者によって賄われ、自身のチームは米政府および米軍と連絡を取り、海上で活動している事実を共有していたと説明した。「カリブ海で行われている米国の麻薬取締作戦の対象と誤認されるのを避けたかった」と述べた。
「米政府と米軍には、我々がその地域で何らかの活動を行っていることだけは伝えていた。詳細までは知らされていなかった」とし、「作戦の最終目的は、ごく限られた最高レベルにおいて、直前にのみ共有された」と付け加えている。
マチャド氏を再びベネズエラへ戻す意向があるかとの問いに、スターン氏は「絶対に勧めない」と即答した。「脱出のため船に乗った際、この問題について話し合い、心から戻らないでほしいと伝えた」と明かした。
「彼女は真の英雄であり、深く尊敬する人物だ。再び危険にさらし、逮捕、殺害、拷問、あるいは何が起きるか分からない状況に置くことは、どうしても避けたい」と述べた。 「グレイ・ブル・レスキュー財団」は公式サイトでスターン氏について、米陸軍・海軍で複数回の派遣経験を持つ退役軍人であり、2001年の米同時多発テロ(9.11)では最前線で救助活動にあたった初期対応者の一人だと紹介している。
「パープルハート章」を受章したスターン氏は、25年以上にわたり特殊作戦分野で活動し、人質救出、対テロ、核拡散防止、重要技術の保護、非正規戦などを専門としてきたという。














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