
韓国の保守系政党「国民の力」で進められた異例の大統領候補交代劇は、手続きの瑕疵を問題視した党員の反発によって頓挫した。8日午後7時に火蓋が切られた指導部と大統領候補の対立は10日深夜に収束したものの、結局は双方とも傷を負った――そんな総括が党内外から聞こえてくる。
▼候補交代までの主な流れ
8日 午後7時 候補一本化をめぐる支持度調査を実施(一般国民50%+党員50%)
9日 午後8時 議員総会が「候補再選出権限」を非常対策委員会へ委任することを決定
10日 午前0時 党指導部と選挙管理委員会が候補再選出案を審議・可決
10日 午前3時 候補登録公告。ハン・ドクス前首相が入党直後に単独で候補登録
10日 午前10時〜午後9時 候補交代案について全党員を対象にARS投票を実施
10日 午後11時 投票で交代案が否決され、キム・ムンス候補の資格が復活。クォン・ヨンセ非常対策委員長は辞任
◇深夜3~4時に候補登録を受け付けた国民の力
国民の力の指導部とキム・ムンス大統領候補の対立が激化したのは8日夕刻だった。キム候補とハン・ドクス前首相との2回目の候補一本化交渉が決裂すると、指導部は二人の候補のうち誰が一本化候補にふさわしいかを測る支持調査を実施。調査でハン前首相が優勢であれば、キム候補の反対を押し切ってでも強制的に一本化する構えだった。
両者の対立は9日午前の議員総会でさらに深刻化した。キム候補が一本化を求める議員らを前に「党指導部が進める強制的な一本化には応じられない。自ら立って勝利する」と宣言したためである。非常対策委員会のクォン・ヨンセ委員長は即座に「失望した」と応酬。発言を終えたキム候補は制止を振り切って議場を後にした。
こうした状況下で、キム候補が候補者資格の確認を求めて8日に申請した仮処分は9日午後に却下された。法的歯止めが消えたことで指導部は一本化作業を加速。キム候補側とハン前首相側は二度交渉したが、世論調査方式をめぐる対立で物別れに終わった。これを受け党指導部は10日午前0時、非常対策委員会と選挙管理委員会を相次いで開催し、キム候補の資格を剥奪した。
国民の力は同日午前3時、候補登録公告を出し、ハン前首相は午前3時30分に入党後すぐに大統領候補として登録された。
◇党員投票で候補交代が否決
10日午前の時点では「ハン・ドクス候補確定」が既定路線と目されていた。党指導部は候補交代の正当性を担保するため、同日午前10時から午後9時まで全党員を対象にARS投票を実施。過半数賛成は確実との見方が強かったが、ふたを開けると結果は逆だった。突如行われた候補交代に手続き上の不備があるとの判断が党員の間に広がり、交代案は否決されたのである。
大統領候補選に出馬していた人物らもSNSで「北朝鮮でもこんなことはしない」(ハン・ドンフン)、「深夜の候補略奪交代でファイナル自爆だ」(ホン・ジュンピョ)などと批判。こうした世論も交代案否決に拍車を掛けた。責任を負う形でクォン・ヨンセ委員長は辞任した。
◇11日、キム・ムンスが候補資格を正式回復
候補資格を取り戻したキム候補は11日午前、ソウル南部地裁に提出していた仮処分申請を取り下げた後、京畿道果川市の中央選挙管理委員会で正式登録を完了。午後3時に国会で開かれた議員総会では「より広く受け止められなかった点を心よりお詫びする」と述べ、大きく頭を下げた。議場は起立拍手で応え、ハン前首相は「結果を受け入れ、平凡な市民に戻る」と語って大統領選レースから撤退した。