日本で見つけた「当たり前の尊重」

最近、韓国の労働環境に見切りをつけ、海外でまったく違う人生を築いている若者たちの話をよく耳にする。中でも、韓国で溶接工として働いていたものの限界を感じ、逃げるように日本へ渡ったある20代半ばの青年のケースは、苦い現実を浮き彫りにする。韓国での日々を振り返ると、真っ先に思い浮かぶのは「末っ子地獄」という言葉だという。
現場には若手といっても40代くらいしかおらず、上司の指示には絶対服従という雰囲気が支配していた。毎日がただ耐えるだけの日々だった。問題は肉体的な疲労ではなく、家族や友人までもが「肉体労働なんて」と露骨に見下してくる社会の目だった。若くして稼いではいても、「そんな仕事で結婚できるの?」といった言葉を浴びるたび、自尊心はズタズタになった。仕事が終わって家に帰り、一人泣きながら眠りにつく日が続くうち、もう耐える意味すら見失っていった。

そんな崖っぷちの生活を送っていたとき、偶然にも日本での就職機会に恵まれた。そして彼は、ついに韓国を離れる決断をした。日本で待っていたのは、想像もしなかった世界だった。年齢や役職に関わらず、すべての業務がマニュアルに沿って分担され、特定の誰かに雑務が押し付けられることはない。同僚たちは技術も仕事への姿勢もプロそのもので、現場の雰囲気は韓国で経験した理不尽さとは比べ物にならないほどフラットだった。細かすぎて息苦しく感じることもあったが、少なくとも誰かを見下したり、「若いんだから当然だろ」といった考え方は存在しなかった。

そして最大の変化は、プライベートで訪れた。彼は日本で出会った女性と結婚したのだが、驚いたのは彼女が職業や財産といった条件を一度も気にしなかったことだ。それどころか「あなたの仕事を誇りに思う」と言ってくれ、揺らいでいた自尊心をしっかりと支えてくれた。
その瞬間、彼は過去5年間を振り返り、深い後悔に襲われた。「なぜあんなに韓国で耐え続けたんだろう」と。彼がたどり着いた答えはシンプルだった。辛いときに無理して耐えることが正解とは限らない。逃げることだって、自分の人生を守るための立派な選択肢だ。そしてその選択が、時にはまったく新しい未来を切り開いてくれる——そういうことなのだ。














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