
中国の権威主義体制に対して積極的に批判を展開してきた著名な政治評論家、チャン・リーファン氏が今年3月に死去していたことが明らかになった。
香港メディア「明報」は8日、チャン氏は3月22日に亡くなったものの、中国当局の圧力により訃報の公表が制限され、遺骨は今月4日に北京市懷柔区(かいじゅう区)の九公山陵園(きゅうこうざん・りょうえん)に埋葬されたと報じた。
中国人民大学公共政策研究院の院長であるマオ・ショウロン氏は最近、「チャン・リーファン氏は1カ月ほど前に世を去った。あまりにも突然で惜しまれる」と語り、複数の学者や反体制派の人物も哀悼の意を表している。
チャン氏は生前、海外メディアとのインタビューを通じて中国の政治や社会の現状を辛辣に批判し続けてきた。近年はX(旧Twitter)でも積極的に政治的見解を発信しており、最後の投稿は昨年9月だった。
独立系ジャーナリストのガオ・ユー氏は昨年末、チャン氏が脳卒中を患って以降、右手だけを使ってSNSで発信を続けていたことを明かしていた。最近、知人を通じてチャン氏に電話をかけようとしたが応答がなく、深刻な病状だったことがうかがえたという。なお、ガオ氏自身も天安門事件36周年にあたる今月4日前後から「12日間の発言禁止」処分を受け、「強制旅行(当局による監視措置)」中だった。
チャン氏はかつて中国共産党や指導部に対して遠慮のない批判を展開していた。1989年の天安門事件については、「真実は消えない。共産党は人々に忘れさせようとしているが、私たちの責任は記憶し続けることだ」と述べ、真相究明を求めていた。また、「中国の真の安定は抑圧ではなく、国民の自由な意思によってもたらされる」として、民主化の必要性を強く訴えていた。習近平体制についても、権力の集中と監視の強化が進んでいると厳しく批判していた。
チャン氏は1950年7月、北京市に生まれた。父親は抗日戦争直前に国民党に対抗して結成された「救国会七君子」の一人、チャン・ナイチー氏だ。チャン・ナイチー氏は中華人民共和国建国後は国務院政務委員、全国政治協商会議常務委員、初代食糧部長(大臣)などの要職を歴任した。しかし1957年、反右派闘争の際に毛沢東から「右派の元祖」と名指しされ、極右分子として粛清された。チャン・リーファン氏も父の連座で政治的な迫害を受けた。
その後、チャン・リーファン氏は文化大革命終結後に中国社会科学院・近代史研究所に所属し、歴史研究に尽力した。北洋軍閥史や中国の社会団体・政党史、中国の近代化問題などを中心に研究を進め、『中華民国史』の編纂にも参加した。1989年の天安門事件では中国共産党中央統一戦線部の要請で学生との仲介にあたったことを契機に、独立系の歴史家としての道を歩んできた。