
核爆弾ではなく「核燃料」を取り除く作戦
米国は今月初め、ベネズエラの閉鎖された研究用原子炉から高濃縮ウランを全量取り出し、自国の核施設に移送した。
この物質は数十年前に研究や医療の用途で使われていたが、原子炉が停止した後も残されたままだった燃料だ。しかし、一定の濃度を超える高濃縮ウランは理論上、核兵器の製造に利用できるため、経済や治安が不安定な国に放置された場合、テロ組織や違法な勢力の手に渡る危険性があった。
米国が爆撃ではなく静かな回収作戦を選んだのは、こうした危険を未然に取り除くという判断によるものだった。

敵対国とも手を組んだ異例の核安全保障の協力
この作戦が特に注目を集めるのは、米国とベネズエラが長年にわたって激しい政治的・外交的な対立を続けてきた関係にあるためだ。
それにもかかわらず、両国は国際原子力関連機関の技術支援を介して水面下で協力し、陸上輸送や海上輸送のルートを調整したうえで、安全基準もすり合わせていった。核燃料は軍による警備の下、港まで陸路で運ばれた後、第3国を経由して大西洋を渡り米国東部の核施設に運び込まれたという。
表向きは制裁や非難を応酬しながらも、核物質の流出だけは防がなければならないという利害の一致では手を結んだ形だ。

13.5キロ、数字以上に重い意味
回収された高濃縮ウランの量はおよそ13.5キロで、重さだけ見れば小さな金属のかたまりにすぎない。
しかし、これだけの物質は濃縮度と設計次第で複数の核爆弾づくりに使われる可能性がある物質とされるだけに、象徴的な意味は大きい。さらに、原子炉は数十年前から停止しており、管理する人員や予算も引き上げられた状態だったため、時間が経つほど安全性やセキュリティ上のリスクは大きくならざるをえない状況にあった。
米国が予定よりも2年以上前倒しで回収を終えたのも、このまま放置することは危険だとの判断が働いた結果だとみられる。

7,340キロ、世界各地から回収された「最悪の物質」
一連の作戦は一国の小さな研究炉を整理した出来事のように見えるが、実際にはより大きなパズルの一部だ。
米国の核安全保障の機関は長年にわたり、世界各地の老朽化した研究炉や軍事施設、倉庫に残る高濃縮ウランやプルトニウムを見つけ出し、回収するか、もはや使用できないように処理するプログラムを運営してきた。これまでに確認や撤去が完了した兵器級の核物質の累計量は7,340キロを超え、理論上は数百基の核兵器に転用できる規模となる。
ベネズエラの事例は、このような静かな核物質の回収作戦が今なお続いていることを示す最新の一例にすぎない。

核燃料は米国へ移送、使い道は“原子力ルネサンス”か
回収された高濃縮ウランはただ廃棄されるのではなく、米国内の核施設で低濃縮燃料へと再加工される予定だ。
米南東部の大規模な核施設では、化学的な分離プロセスを経てこの物質を高濃縮から低濃度の燃料に転換し、研究用や発電用の原子炉の燃料として再び活用する計画を打ち出している。
米当局はこれを自国の新たな「原子力ルネサンス」を支える資源だと説明したうえで、同時に不安定な地域の核リスクを減らしつつ、自国のエネルギーや技術基盤を強化する戦略にも位置付けている。

政治的な敵対とは別の「核拡散のレッドライン」
ベネズエラの事例が投げかけるメッセージは明確だ。制裁や政権交代をめぐる論争、イデオロギーの対立がいかに激しくとも、核物質が不安定な地域に放置されることだけは当事国すべてにとって最悪の事態だという点だ。
米国とベネズエラが示したように、互いを非難しながらも共に取り除かなければならないリスク領域は別に存在する。政治的な対立が現実の核危機にまで発展する前に、危険物質そのものを取り除くこうした静かな協力は、今後ほかの地域での紛争でも重要な前例となりうる。
あまり目立たないだけで、こうした核安全保障の取り組みが成功するほど、世界は潜在的な最悪のシナリオから少しずつ遠ざかることになる。














コメント1
磯爺
ある意味核開発は人類にとって早すぎたのかもしれない。日本の原発事故にしても、たかが地震でメルトスルーまでいってしまった。チェルノブイリ事故でも欧州ではかなりの被爆者を出した。要するに手におえないのである。