
【引用:Itiner-e】西暦150年頃の古代ローマ道路地図。英国からシリアまで総延長は30万キロに達する。道路は、人類文明の発展史において最も重要な基盤インフラのひとつである。「すべての道はローマに通ず」と言われるように、古代ローマ帝国は領土を拡大するたびに緻密な道路網を整備していった。パクス・ロマーナ(ローマの平和を意味する)と呼ばれた全盛期のローマ帝国は、地中海沿岸全域を掌握しただけでなく、北は英国、東は中東まで版図を広げていた。こうした広大な地域を一体の経済圏として維持できた背景には、隅々にまで張り巡らされた道路網の存在が大きく寄与したとされる。道路網の配置は、当時の人や物資がどのように移動し、知識や感染症がどのルートを通じて広まったのかを読み解くうえで重要な手がかりとなる。デンマークのオーフス大学を中心とする国際研究チームは、西暦150年前後、ローマ帝国の領土が最大規模に達した時期の道路網を再構築した高解像度デジタル地図を、国際学術誌『Scientific Data』に発表した。

【引用:Itiner-e】考古学資料、歴史記録、地形図、衛星画像などを基に作成された今回の道路網地図の総延長は約30万キロ。2000年刊行の『バリントン・ギリシャ・ローマ世界地図』に示されていた道路(18万8,555キロ)より約10万キロ増加した。30万キロは地球を7周半できる距離に相当する。道路網が敷かれていた地域の面積は約400万平方キロだ。特にイベリア半島、ギリシャ、北アフリカ地域では、より詳細な道路が新たに反映された。研究チームはまず既存の地図帳、測量記録、史料、考古学的データ、現在の道路標識などを基にローマ道路の全体像を把握した。そのうえで、これらの情報を過去・現在の航空写真や地形図、衛星画像と照合し、各区間をデジタル化してローマ帝国道路データセットのプラットフォームItiner-eに公開した。

【引用:Itiner-e】新たに作成されたローマ道路地図は、従来の地図よりも実際の地形に即した道路形状となっている。地図に示されたローマ帝国の道路は1万4,769区間で構成され、そのうち35%の10万3,478キロが幹線道路、残る65%の19万5,693キロが支線道路である。研究チームは高度な空間分析により、従来の地図に見られた非現実的な直線経路を修正し、山岳地帯など複雑な地形を反映させることで、より実際に近い道路網の再現に成功したとしている。論文共著者のトム・ブルフマンス教授(考古学)はこの地図を「ローマ道路のグーグルマップ」と呼んでいる。ローマ道路の多くは今も都市間を結ぶ役割を果たしている。たとえば、ロンドンからウェールズ国境近くのラクスターへ続くA5高速道路区間は、ローマ時代の道路に沿って建設されたものだ。ブルフマンス教授は「ローマ人が歩いた場所には必ず道路があった」と述べ、「帝国内の邸宅、村、農場などあらゆる場所に道路を通じて到達できた」と説明している。

【引用:Itiner-e】今回の精査にもかかわらず、正確な位置が確認された道路は全体のわずか2.7%にとどまる。約90%は位置精度が十分ではなく、約7%は存在自体は確認されているものの、正確な位置情報が欠けているため仮想的な経路として示されている。それでも研究チームは、この地図が数千年前のローマ帝国における人や感染症の移動、さらにはキリスト教の伝播ルートを理解するうえで大きく貢献すると期待している。ブルフマンス教授は、巨大な道路網を通じて感染症・物資・新しい宗教が「大陸規模」で拡散し、世界を変えたと説明する。教授はその一例として、西暦165年に発生し、帝国人口の約4分の1を死に至らしめた「アントニヌスの疫病」を挙げた。













コメント0