
MBN『特ダネ世界』で、ホン・ジュが闘病中の心境を明かし、涙を見せた。
2日放送のMBN『特ダネ世界』には、史上最年少の天下壮士出身タレント、ペク・スンイルと妻で歌手のホン・ジュ夫妻、さらにチョングッチャンの名人として知られるソ・ブンレが出演した。

ペク・スンイルは、卵巣がんステージ3で闘病中の妻・ホン・ジュのために、自ら料理を作った。ペク・スンイルは「大きな病院で診てもらった時には、すでに卵巣がんステージ3だった」と明かし、腹膜への転移が見つかり、子宮摘出手術を受けたホン・ジュの当時の状況を振り返った。
さらに、「そんな状況でも、妻は僕の誕生日にわかめスープを作って持ってきてくれた。誕生日なんてどうでもいいのに」と胸の内を語った。これに対しホン・ジュは、「長男のようにずっと私が世話をしてきた人だから、やっぱり世話をしなきゃと思った。母親のような気持ちだった」と笑顔を見せた。
二人は初めての出会いについても語った。ホン・ジュは「力士の方に『ちょっと来て』と言われて行ったら、知らない男性がすごく歓迎してくれた。それが初対面だった」と回想。一方、ペク・スンイルは「家で『全国のど自慢』を見ていたらホン・ジュが出演していた。歌が本当にうまくて、ふっくらした雰囲気も僕のタイプだった」と笑顔で振り返った。
ホン・ジュは「振り返ると、自分を責めることもある。どうしてこんな人生しか送れなかったんだろうって。胸の内にため込んできたことも、言葉にできずに生きてきたこともある。こんなことになると分かっていたら、やりたいことを全部やって思い切り生きればよかった」と涙ながらに語った。続けて「耐えていればいつかいいことがあると思っていた。でも結局、戻ってきたのは病気になった今の自分だった。誰かを責めることはできないけれど、自分の進む道を間違えていたのかもしれないと思う」と胸の内を明かした。
ペク・スンイルは「僕はシルムしかやってこなかった。何もできない自分を、妻がずっと支えてくれた。これまでの時間を振り返ると、本当に胸が痛い。後悔もしているし、申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と語った。
ホン・ジュは、中学1年生の娘・ハランの前では決してつらい様子を見せなかった。幼い娘に大きな負担を背負わせてしまったのではないかと、申し訳ない気持ちを打ち明けた。
ホン・ジュの実母も、病気の娘を心配して自宅を訪れたという。母親は「歌はあんなに上手なのに、どうして思うように活躍できなかったのか」と胸の内を明かし、ホン・ジュも「ステージに立つ立派な姿を母に見せたかったけれど、それができなかった」と声を詰まらせた。
最後にペク・スンイルは、「もし僕ではなく別の男性と出会っていたら、病気にもならず、歌手としての夢もかなえられたのではないかと思う。本当に何千倍にもして返してあげたい」と妻への思いを語った。

ソ・ブンレは、男の子を望んでいた家庭で娘として生まれ、幼い頃は母親から十分な愛情を受けられなかったという。「母は私を嫌っていた。私だけ祖母と一緒に寝ていたし、体中からチョングッチャンの匂いがしていた。嫌だと思いながらも祖母から作り方を教わった。私を育ててくれたのは長女の姉だった。今でも胸が痛むし、もっと恩返しができればよかったと思う」と語った。
その後、農園の前に止まっていた夫の車を避けるように足早にその場を離れたソ・ブンレは、「夫に会うかもしれないと思うと胸が苦しくなる」と話し、遠回りをして甕置き場へ向かった。
さらに、「生まれ変わっても結婚はしない」と断言。「夫は女性にお金を渡し、車やプレゼントまで買ってあげていた。私が子どもを産んだ時も、呼んでも来てくれなかった。そのせいでうつ病やパニック障害を患い、心臓の病気まで抱えることになった」と打ち明けた。
ソ・ブンレは1980年代に旅行会社を設立し、大きな成功を収めたという。その資金で東大門(トンデムン)に土地を購入し、地価の上昇によって江南(カンナム)に120億ウォン(約12億6,500万円)相当のビルを取得した。
しかし、「順調だったところにアジア通貨危機が訪れた。旅行会社は赤字続きになり、このままではいけない、自分が立て直さなければと思ってチョングッチャン作りを始めた」と振り返った。
それでも夫へのわだかまりは消えなかった。「40代の頃から夫は私を捨てたようなものだった。同じ服を私にも、その女性にも買い与えていた。本当に胸が張り裂けそうなくらいつらかった」と涙ながらに語った。
最終的にソ・ブンレは演劇療法に挑戦。「長い間あなたを憎み続けてしまってごめんなさい。50年間、一度も向き合ってお茶を飲むことすらできなかった」と号泣した。
最後にソ・ブンレ夫妻は改めて向き合い、本音を語り合った。二人は固く握手を交わし、50年にわたるわだかまりを少しずつ解きほぐした。














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