
アメリカの隣国であり、重要な同盟国であるカナダで緊張が高まっている。カナダが「アメリカ軍侵攻」を想定した国防シナリオを検討しているというニュースは、米・カナダ同盟を当然視する北米地域の常識を揺るがしている。しかし、歴史を遡ると、この二国の間には実際に戦争があった。埋もれていた戦争の記憶が顔を出し、両国関係が新たな試練に直面している。
トランプ大統領、再びカナダを「アメリカの51番目の州」と侮辱
カナダが中国との関係強化に乗り出すと、アメリカのドナルド・トランプ大統領が反発した。しばらく使用していなかった「アメリカの51番目の州」という表現を再び持ち出した。
トランプ大統領は24日(現地時間)、「カナダが中国と協定を結ぶなら、アメリカに入ってくるすべてのカナダ商品に即座に100%の関税が課される」と圧力をかけた。
トランプ大統領はこの日、自身のSNSトゥルース・ソーシャルに「カーニー州知事がカナダを中国がアメリカに商品を送る『荷下ろし港(Drop Off Port)』にできると思うなら、彼は大きな間違いをしている」と書き込んだ。
「カーニー州知事」はカナダのマーク・カーニー首相を指す表現だ。トランプ大統領は政権2期の発足時からカナダ併合の野望をあからさまに示し、「アメリカの51番目の州」という意味でカナダ首相を「州知事」と呼んできた。
トランプ大統領は当選人時代、カナダを「アメリカの51番目の州」、当時のジャスティン・トルドー首相を「州知事」と呼び、カナダ併合の野望を表面化させた。トルドー首相の退任後、マーク・カーニー政権が始まると、トランプ大統領はしばらくこの表現を控えていた。しかし、カナダが中国に接近すると、トランプ大統領はこの「侮辱的な言葉」を再び持ち出した。カーニー首相はこのトランプ大統領に対して「正常ではない」と批判した。
正規戦ではなく「ゲリラ戦」で対抗
このような言葉は単なる言い間違いではない。カナダを対等な主権国ではなく、アメリカの影響下にある対象として見る「ドンロー・ドクトリン(トランプ版モンロー主義)」を如実に示している。カナダにとっては、安全保障と主権の根幹が揺らぐ状況となった。これによりカナダは、以前は想像もできなかった最悪のシナリオまで想定する段階に入った。
カナダは国防費の増額とともに、アメリカの侵攻可能性まで想定した国家対応モデルを100年ぶりに初めて整備した。
イギリスの新聞テレグラフとカナダのメディアThe Globe and Mailによると、カナダはアメリカ軍が攻撃してくる場合、正面防御ではなくゲリラ戦(非正規戦)を展開する計画だ。正規軍(7万1,500人)に予備軍(3万人)を合わせても約10万人のカナダ軍では、200万人を超えるアメリカ軍を正規戦で阻止するのは難しいとの判断からだ。
待ち伏せ、サボタージュ、ドローン攻撃、ヒットエンドラン方式の小規模ゲリラ戦が核心だ。ソ連-アフガニスタン戦争当時のムジャーヒディーン、そしてタリバンがアメリカ軍に対して使用した戦術を参考にしたモデルで、アメリカ軍の人命被害を最大化することが目的だという。
徴兵制は排除したが、創設を進めている、40万人規模の志願予備軍が占領状況で武装・妨害工作に動員される可能性も取りざたされている。
カナダは1930年代にアメリカと衝突する可能性を念頭に置き、先制軍事行動の構想を整えた前例がある。そんなカナダが今回、アメリカの自国侵攻を想定した対応モデルを確立したのは100年ぶりのことだとThe Globe and Mailは伝えた。
戦争の記憶、再び呼び起こされる
カナダが1867年に独立国家となって以来、二国が戦争をしたことはない。しかしその前にアメリカがカナダを攻撃したことがあった。米英戦争(1812~1815年)の時だ。
アメリカはイギリスと戦争をしながら、当時イギリスの植民地であったカナダ地域を侵攻した。宣戦布告をしたのは第4代大統領ジェームズ・マディソン氏だったが、実際に戦争を推進した原動力は議会内のタカ派(War Hawks)だった。彼らはカナダ占領を通じて、辺境地域でインディアンを扇動するイギリス勢力を排除し、領土を拡張しようという野心を抱いていた。
戦略は単純だった。五大湖周辺のデトロイト-ナイアガラ-モントリオールに沿って攻撃すれば、イギリス領カナダは簡単に崩れると計算していた。
1813年4月27日、アメリカ軍はオンタリオ湖を渡り、ヨーク(現在のトロント)に上陸してフォート・ヨーク(Fort York)を攻撃した。フォート・ヨークは1793年にイギリスが築いた要塞だ。当時のアメリカ軍の兵力は約1,700人で、イギリス軍とカナダ民兵、先住民を合わせたヨーク防衛軍約700人を大きく上回っていた。
イギリス側は兵力の劣勢を認識し、遅延戦と撤退を選択した。ヨーク防衛軍は後退しながら、ヨークの外郭にあった火薬庫を爆破し、接近してきたアメリカ軍に大きな被害を与えた。
ヨークは結局アメリカ軍の手に落ちた。しかし問題は占領後だった。多くの戦死者を出したアメリカ軍は、報復行動に出た。要塞だけでなく、議会の建物、総督官邸などを焼き払った。都市はほぼ全焼した。一部の兵士は略奪に加担した。これはカナダ住民の反米感情を高めた。
この事件が、激しい報復を行う理由となった。1814年、イギリス軍がワシントンD.C.を占領し、国会議事堂や大統領官邸(ホワイトハウス)などを焼き払った際、イギリス側は「アメリカ軍のヨーク放火」を報復理由に挙げた。ヨークの炎が結局ワシントンの炎に戻ってきたわけだ。その後、大統領官邸は再建された。放火で黒くなった外壁を白く塗り、大統領官邸は「ホワイトハウス(The White House)」と呼ばれるようになった。
米英戦争は明確な勝者なしに終わった。国境線は変わらなかった。しかしその意味は決して小さくなかった。この戦争はカナダのアイデンティティの重要な起源となった。米英戦争はカナダ人にとって「アメリカの侵攻を防いだ歴史的経験」として残った。アメリカ人にとっては「第二次独立戦争」として記憶されている。
米英戦争の歴史を思い起こす理由は、今同盟の言葉が亀裂を生じさせているからだ。トランプ大統領の「51番目の州」、「州知事」という発言は、力の秩序を思い起こさせる信号だ。今やカナダはもはやアメリカを「疑う必要のない隣人」として見ることができなくなった。カナダの「安全保障の時計」が200年以上前の過去に戻りつつある。北米の秩序がこれまでとは異なる局面に入った
















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