
20世紀後半、世界の金融市場に大きな影響を及ぼした米連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン元議長が22日(現地時間)、死去したと米NBCニュースが報じた。100歳だった。同局は、妻で米NBCニュースのワシントン特派員を務めるアンドレア・ミッチェル氏の話として、グリーンスパン元議長が自宅で亡くなったと伝えている。死因はパーキンソン病に伴う合併症だという。
グリーンスパン元議長は1987年から2006年まで約19年間、FRB議長を務めた。在任期間は、1951年から1970年までFRBを率いた米国のウィリアム・マクチェスニー・マーティン・ジュニア元議長に次いで、歴代2番目の長さとなる。1926年にニューヨーク市で生まれ、コロンビア大学を経てニューヨーク大学で経済学博士号を取得した。1987年、米国のロナルド・レーガン政権下でFRB議長に就任し、世間の注目を集めるようになった。
最初の仕事は、10代のころに加わった巡業ジャズバンドの一員だった。その後、ウォール街へ移り、経済コンサルタントとして働いた。共和党を強く支持したグリーンスパン元議長は、ワシントン政界の中枢人物となり、複数の共和党大統領の経済顧問を務めた末、中央銀行で最も権限の強い職に就くことになる。
FRB議長在任中は、株式市場の活況と低い失業率を背景に世界経済を力強くけん引し、「マエストロ」と呼ばれた。1991年から2001年までの10年間は、FRB創設以来、最も安定した経済成長期を築いたとの評価を受けている。ブルームバーグによると、この期間にS&P500種株価指数は4倍近く上昇し、米国経済は年平均3.5%成長した。失業率は平均5.5%で、2000年4月には3.8%を記録している。これは当時、1969年以降で最も低い水準だった。こうした実績から、2000年代半ばの任期終盤には、歴代最高のFRB議長と称賛されることもあった。
グリーンスパン元議長によるテレビ演説や米議会での証言は、世界の金融市場をしばしば大きく動かした。
1996年、株式市場の過熱が明らかになると、当時FRB議長だったグリーンスパン元議長は「根拠なき熱狂(irrational exuberance)」という言葉を用い、過度な株価上昇に警鐘を鳴らした。その発言後、株価は下落に転じた。以後、この表現は株式市場の過熱を語る際に欠かせない言葉として定着している。
グリーンスパン元議長が2006年にFRB議長を退任してからわずか2年後の2008年、米国はサブプライム住宅ローン危機に直面することになった。グリーンスパン元議長在任時の規制姿勢や金融政策が、現代史上最も深刻な不況を招いたとの批判が相次いだ。2008年9月にリーマン・ブラザーズが破綻すると危機は深まり、FRBと後任のベン・バーナンキFRB議長を窮地に追い込んだ。














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