
数々の作品で存在感を放ってきたベテラン俳優のトッコ・ヨンジェが歩んできた波乱の半生と、絶望を乗り越えて再起した歩みに改めて注目が集まっている。
悪役俳優として韓国映画界で活躍したトッコ・ソンの息子として生まれたが、俳優一家という華やかな環境とは裏腹に、自身は長い下積み生活と厳しい生活苦を経験した。
事業の失敗や離婚など、人生を大きく揺るがす苦難に見舞われながらも、俳優としての道を諦めなかった。その歩みは、多くの人の共感を呼んでいる。
人生のどん底から再起を果たすまで、その歩みを振り返る。

トッコ・ヨンジェは1973年、映画『雨粒(韓国語原題訳)』で俳優デビューを果たしたものの、広く知られるようになるまでには約20年の歳月を要した。
著名な俳優だった父親の存在は、トッコ・ヨンジェにとって、かえって乗り越えなければならない大きな壁となった。
生活のため俳優以外の仕事に就いた時期もあったが、やがて「トッコ・ヨンジェ」という芸名を自らのものとして受け入れ、俳優として新たな一歩を踏み出した。

かつて無理な事業拡大に乗り出したものの失敗に終わり、家庭も生活の基盤も一瞬にして失った。
手元に残っていたのは30万ウォン(約3万2,000円)だけという厳しい状況で、子どもたちは自身の両親に預けざるを得なかった。
毎朝、共同トイレで娘の体を洗い、パンと牛乳だけで朝食を済ませて学校へ送り届ける生活が続いた。
後年、娘は「あの頃、お父さんと車の中で眠った時間が一番幸せだった」と打ち明け、その言葉はトッコ・ヨンジェの胸に深く刻まれた。

離婚後、2人の子どもを1人で育てていた頃、生活の重圧に耐え切れなくなり、自ら命を絶とうとしたこともあった。
春川(チュンチョン)へ向かう途中、自ら運転する車を約9メートル下の崖へ転落させる大事故を起こした。
車の窓ガラスは粉々に砕け、手にガラス片が突き刺さる重傷を負ったものの、奇跡的に一命を取り留めた。
救助を待つ間、「車をどうやって引き上げればいいのか」と考えている自分に気付き、その瞬間、我に返ったと振り返っている。
その夜、眠る子どもたちの顔を見て以来、一滴の酒も口にしていない。
人生のどん底にいたトッコ・ヨンジェを支えたのは、現在も連れ添う16歳年下の妻だった。
離婚後は2人の子どもを育てていたこともあり、「自分と結婚すれば不幸になる」と結婚を思いとどまらせようとしたが、妻は変わらず寄り添い続けた。
苦しみだけでなく、プライドまで気遣ってくれた妻の思いやりに心を動かされ、トッコ・ヨンジェは再婚を決意した。妻の存在は、その後、俳優として再び活動に打ち込むための大きな支えとなった。
数々の苦難を乗り越えたトッコ・ヨンジェは、その後、ドラマ『お母さんの海』で広く知られるようになり、『ホワイト・バッジ』、『コリアゲート』、『英雄時代』など話題作への出演が続いた。
トッコ・ヨンジェは、実生活での挫折や再起を通して得た経験が、俳優としての演技を支える大きな糧になっていると語っている。
数々の試練を乗り越えてきた経験は、現在のトッコ・ヨンジェを支える大きな糧となっている。













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