
昨年10月、中国政府の大規模な地下教会の取り締まりで拘束され、収容施設で266日を過ごした末に釈放された朝鮮族の金明日(キム・ミョンイル)牧師は19日、朝鮮日報のインタビューで「今もこの瞬間が信じられず、夢のようだ」と述べ「不当に『犯罪者』扱いされた牧師の釈放を、習近平国家主席に直接求め、実現させたドナルド・トランプ大統領に深く感謝する」と語った。金牧師は、5月にトランプ大統領が習主席との首脳会談で釈放を要求してから約1カ月後の3日に米国に到着し、家族と再会した。
金牧師はこの日、米メリーランド州にある長女の自宅の近くで朝鮮日報の取材に応じ「『豚の餌』のような食事が出て、新聞すら読めず、外界と断絶された中国の拘置施設で、これからどう時間を過ごすか絶望していたが、奇跡的に米国への移送が実現した」と語った。金牧師は「米国の外交官たちも、こんなに早く釈放されるとは予想していなかったようで、自分たちの研究の対象だと驚いていた」とし「すでに映画やドラマのシナリオを書こうという提案が来ている」と述べた。金牧師は続けて「(釈放の過程で)韓国のキリスト教界を含め、世界各地で多くの方々が声を上げてくださり、身に余る愛と関心を受けた」と語った。

「豚の餌のような食事で耐えた…米国に戻ってハンバーガーを食べるなんて、まるで現実とは思えなかった」
中国黒竜江省(こくりゅうこう省)の出身で、北京大学を卒業した金明日牧師は、1989年の天安門事件を機に入信し、米国で神学の博士号を取得して中国に戻り、福音主義的なシオン教会を導いた。中国国内の40以上の都市で日曜の礼拝を運営し、5,000人がオンラインで接続して説教を聞くほどの盛況だったが、これを統制しようとする当局と対立し、昨年10月に逮捕された。中国政府は、家庭などでの説教・礼拝などの宗教活動を違法化している。
米議会で働いていた金牧師の長女のグレース・ジンさん(32)が、政府や議会に父親の生還のための努力を訴えた。議会はジンさんに、父親の釈放を訴える証言の機会を設け、5月の米中首脳会談を前に、上下両院が超党派で釈放を求める決議案を可決した。続いて、マルコ・ルビオ国務長官が「宗教の自由に対する明白な侵害だ」と批判する声明を発表し、ドナルド・トランプ大統領は、この問題を習近平主席に直接提起したと明らかにした。以下は金牧師との一問一答だ。
―釈放されるとは、当日まで知らなかったと聞いた。
「9月に中国当局に逮捕されてから、外で何が起きているのか正確に知ることができなかった。2か月ごとに頭を剃られ、新聞も見られず、聖書さえも1か月経ってやっと受け取った。最後の方では弁護士とも1か月以上面会できなかった。その後、列車に乗って広州に向かう時、何かおかしいと感じた。護送する公安は、私の行き先を最後まで絶対に教えてくれなかったが『どこに行くかよく考えてみろ』と皮肉を言った。空港で、私に対する起訴が取り消されたと通知を受け、滑走路を走って飛行機にすぐに搭乗した。入ると、米国の領事が『ここであなたを8時間待っていた』、『中国政府があなたを釈放すると言ったが、それが本当に実現するかは分からなかった』と言った」
――米国政府側も驚いたと耳にした。
「米国の外交官たちは、宗教の問題で中国に拘束されていた人がこんなに早く出てきたことはなく、自分たちも『興奮している』、『中国がどうしてこんな措置をしたのか研究している』と言った。ロサンゼルスまでの長時間の飛行の間、眠れなかった。飛行機に乗った日は7月3日で、米国の独立250周年の前日だった。ロサンゼルスに到着して妻と娘に会い、イン・アンド・アウトのハンバーガーを食べながら、独立記念日の花火を見るのは超現実的だった」
――中国側の説得はなかったのか。
「逮捕された後、中国側は、罪を認めれば刑期を15年から3年に減刑すると言ってきた。しかし、30年間牧師を務めてきた良心として、それに従うことはできなかった。『15年をどう過ごすのか』と絶望していたが、状況が急変した。中国の体制上、習近平主席が決定しなければ誰もできないことだが、だからこそトランプ大統領に非常に感謝している」

――釈放を求める声を広く社会に訴えるうえで、娘さんが大きな役割を果たした。
「逮捕されてから1週間後、中国側から『あなたの娘が米議会で働いていたのか』と聞かれた。娘は妊娠中の体で米国全土を回り、私の釈放の実現のために尽力した。これが、政府や議会、そして大統領までが中国に対して声を上げるきっかけとなった。今度は私が娘に恩返しをする番だ。4歳、2歳、そして6か月ほどの孫がいるが、当分は健康を回復しながら、子どもたちをしっかりと育てるつもりだ。末の孫の名前は、私の英語名を取った『エズラ(Ezra)』だ。私の生還を願って名付けたそうだ」
――韓国に母親がいると聞いた。
「大学を卒業した後、現地の貿易協会や大韓貿易投資振興公社(KOTRA)の事務所で少し働いた経験がある。私たちにとって韓国は母国なので愛着が強く、国の発展を常に祈っていた。1988年のソウル五輪の開幕の場面を友人たちと見ながら、その発展に涙を流した記憶がある。中国から出る際、韓国に立ち寄って母に会いたかったが、助けてくださった方々にさらに迷惑をかけるわけにはいかなかった。ビザの問題が解決次第、早く韓国に行って母に会いたい。今年94歳で、8年以上会っていない」















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